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管理人はただのクルマ屋の親爺です。 |
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坪井弘明 男 昭和16年(1941年) 静岡県富士宮市に生まれる。
私の生まれた時代は、第二次世界大戦の真っ只中、12月には、ハワイ島パールハーバー攻撃(真珠湾攻撃)という形で日本も参戦(太平洋戦争勃発)と言う悲劇が始まった年でもあります。
富士宮市の地元小中学校から、県立工業高校機械科を卒業。
東京新宿に本社を置く、製紙機械メーカー設計課に就職するが、製紙不況で仕事が薄くなり、弟が自動車整備士になったのをきっかけに自動車修理業に転向する。
神奈川県横浜市の フォード正規デーラーのニュージャパンモーター(株)(1988廃業)に就職。
以後町工場2社を経て
昭和41年09月(1966年)静岡県富士宮市浅間町で、私:鈑金士&整備士と 弟:整備士の二人で坪井自動車を創業する。 坪井自動車創業の時代は、東京オリンピックも終わり東名高速道路建設の真っ最中!マイカーブームの始まりという時期でした。
開業当初の坪井自動車は、私たちに整備士の資格があっても、車検を行う認証の資格が工場になかったため、構内運搬機や重機の販売会社からフォークリフトやショベルカーなどのエンジン分解整備の下請けからの出発でした。
そのエンジン分解整備の仕事は1週間に2機、1年間100機もの整備をすると言うものでした。
当時街の修理工場でのエンジン分解整備の数は、1年間に僅か数機というレベルであり、100機ものエンジンオーバーホールを行うことは異常で、この経験が坪井自動車のエンジン整備の基礎となって今も生きているのです。
また、重機や自動車の鈑金と塗装も並行して行なっていました。
昭和42年08月(1967年) 開業から1年を経ずして坪井自動車を現在地 野中町(旧野中)に移転、損害保険代理店開始。
もともとが自動車の修理やですから重機などの修理だけでは満足できず、本格的に自動車の鈑金や整備を仕事とする為に移転、市内60余軒あった他の整備工場に働きかけ、20軒あまりの整備工場と板金塗装の下請け取引が始まりました。
ですから他の整備業者からは、当時「坪井自動車鈑金」と呼ばれていました。
昭和46年06月(1971年) 坪井自動車を坪井自動車有限会社と法人化
板金塗装事業は順調に推移していたのですが自動車整備業への夢は捨てがたく、法人化と共に自動車整備業に移行の準備に着手しました。
昭和48年07月(1973年)整備認証工場の資格(車検などの整備を行う工場の資格)を取得
昭和48年頃(1973年)マイカーブームに水を差すかの様に、オイルショックと言われた時期があり、その時には10年、20年先にはガソリンが無くなって「自動車は全て電気自動車になるだろう」と予測して、坪井自動車では全社員で真剣に電気の勉強をしました。
その予想は外れ、以来30余年たった現在、やっとハイブリッドカーなる車が発売されていますが、これとてモーターとガソリンエンジン併用と言うカタチです。
2010年現在、自動車の今後の方向としては、電気自動車になると思われますが、35年前に電気の勉強をしたお陰で「坪井自動車は電気に強い整備工場」として皆様のお役に立っていると思います。
昭和52年04月(1977年)新工場建設完成
車検の検査ラインを備えた新工場が完成し、いよいよ民間車検工場の資格取得に兆戦!
昭和53年03月(1978年)指定整備工場の資格を取得
めでたく民間車検工場となりました。
整備工場への移行とともに当然の結果として他の整備工場からの板金塗装の下請けは減少して行きました。
昭和55年05月(1980年) 坪井自動車の車両販売部「坪井車販」を富士宮市神田川町に出店
新車登録から初めての車検までの期間が、自家用乗用車は2年から3年に、また自家用小型貨物も1年から2年に延長されることが1982年7月(昭和57年)に実施と決まり、車検整備の仕事量の減少を危惧し、遅ればせながら自動車販売に進出することとなり、神田川町の現在地に坪井自動車の車両販売部「坪井車販」を出店しました。
自動車販売は自動車板金職人からの開業で、それなりに苦労はありましたが、おかげさまで順調に推移しました。
車販店出店に伴い、顧客の情報管理や事務の合理化のために800万円余の巨額な投資をしてオフコン:オフィスコンピューター(パソコン:パーソナルコンピュータでは無いですよ!)を導入しました。
購入の条件として
・整備士があぶら手で操作できる事
・一般事務室でほこりを被っても故障しない
・ひらがな漢字が打ち出せる事
等の条件で購入に踏み切りました。
資本金300万の会社としてはこの投資は大変な賭けで、よく決心したものだと今でも思います。
それだけ会社に勢いがあったのでしょうね!
平成01年04月(1989年) クロストーク株式会社を設立
新たな税金として消費税の課税が始まるのを機会に、消費税対策の違う整備業と販売業を分離する事とし、共同経営者である弟に整備工場の坪井自動車をまかせ、私が自動車販売の新会社を設立し、坪井車販を経営する事になりました
平成13年05月(2001年) WEB店舗を開店
平成に入ってからパソコンが急速に普及し始め、インターネットによる情報交換や物品の販売が行われるようになり、車の販売もインターネットが主流になると60歳の手習い
ハウツウ本の【この通りやればすぐ出来る「ホームページの作成と公開」】 本体1680円+税
を買ってホームページ作成に挑戦。
当時、私のまわりにホームページを作った経験のある人はおらず、独学で四苦八苦して製作!
平成13年05月にやっとホームページを公開する事ができました。
以来、公開されているホームページを参考に、またそのホームページ製作者にメールして教えて頂いたりしてリニューアルを重ね現在のページになっています。
今度は予想通り、中古車探しはインターネットが主流となり、お蔭様で当店の自動車販売台数の半数以上は何らかのかたちでインターネット経由ではないかと思っています。
平成14年10月(2002年) 60歳を過ぎたのを契機に社長を息子に交代する
坪井自動車を創業以来45年(2016年には半世紀:わー長い!)、皆様に可愛がっていただいて今日があります。
今後とも坪井自動車グループ(自動車整備の「坪井自動車(有)」・自動車販売の「坪井車販」・自動車保険の「クロストーク保険事務所」・ロードサービスの「カーレスキュー富士」)が皆様の快適なカーライフのお手伝いをさせて頂きたいと思っています。
今後ともご愛顧のほどお願いいたします。
2005.12 坪井弘明 |
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自動車保険代理店と道路交通法の勉強 |
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最近では保険会社の経営も厳しいようで、事故を起こすと、相手(保険会社)との示談交渉は厳しく、生半可な道交法の知識では丸め込まれてしまいます。
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2007年1月 「必見!道路交通法の裏を読む」改正道交法の解説 というブログをアップしました。
こちらもご覧いただけたら幸いです。
2008年 メールマガジン大手「まぐまぐ」の「カーライフ駆け込み寺」コラムの「道路交通法の解説」を担当しています。
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