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最近の車や事情 |
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私の生まれ育った静岡県富士宮市では終戦直後(昭和23年頃)車と言えば、木炭(薪炭)路線バス(生木を蒸し焼きにしたとき発生する木炭ガスで走っていた)とタクシーくらいな物で、企業の社用車はともかく、個人で車を持っている人などは皆無でした。
でも、世の中が落ち着いてきて朝鮮戦争、戦後復興などの特需もあり土建業、米や、薪やなど重い荷物を運ぶ業種からトラック(三輪車)を持つ様になったと記憶しています。
ですから車の修理の需要は少なく、鍛冶屋、鉄工場、あるいは戦争中に市街地北部にあった戦車学校の修理工などが片手間にまかなう程度でした。
でも、昭和20年代後半には、富士宮市にも二三軒の車屋が生まれました。
今ある富士宮市内の車やさんは、この車やさんの弟子が大半のようです。
この人たちが車屋に弟子入りした当時は、町の修理屋さんでは給料も小遣い程度で、住み込みの場合食事代、部屋代を雇い主負担で盆暮れに小遣いをもらう程度でした。(昭和30年〜40年代は入社とは、修理を教えてもらうと言うことで弟子入りする事でした。)
上下関係も厳しく、仕事は教えてはくれず、見て盗めと言われました。
新弟子は兄弟子に泣かされたようです。
30年代に入ってデーラーが地方進出。
さすがにデーラーさんでは安いにしても給料体制は整っていました。
私は横浜のフォードのデーラーに入社しましたのでとても待遇がよく、快適な修行時代を過ごしました。
朝は九時始業、作業服は毎日洗濯された物が会社から支給、四時半終業、工場内に大きなお風呂まで付いていました。
上下関係は良く、先輩はよく仕事を教えて下さいました。
でも親方は仕事には厳しく、怠けたりミスしたりするとスパナやドライバーが投げつけられました。
もっとも当たらないようにですが。
その親方は今健在でしょうか?何の御礼もしないまま今日にいたってしまいました。
今では町の修理屋さんでも、給与体制も整って整備士さんも優遇されています。
話は変わって昭和40年代に整備工場を開業するのには定められた条件がありました。
2級整備士1名以上
規定の広さの工場
規定の整備工具
などの条件のクリヤーと、自動車整備振興会に入会する事でした。
この整備振興会への入会は「市内の既存の整備業者の同意」が条件で、なかなか同意が得られず待たされ、工場は建てた、工具は買った、開業できない、借金は返さなければ為らず自殺してしまった例があるくらいに大変でした。
同業者の増えるのを嫌った面も有りましたが、「車社会の安全は、我々が担っている。」と言う自負が新規加入者に厳しい条件を課したものでした。
そして私で言えば
まず、板金塗装工場を開業して、市の整備組合支部に加入する。
5年後に組合員の皆様と顔なじみになって自動車整備振興会に入会申請して同意をえる。
今で言う国土交通省名古屋陸運局静岡支局の「自動車分解整備事業の認証(修理工場開業の許可証みたいなもの)」を頂く。
を経て整備業の開業にこぎつけたものでした。
その後、排気ガス規制に対するテスターの保有義務課せられる。(5年ぐらいで新しい排気ガス規制が出来、テスターの買い替えが迫られる。安くない!)
工場の整備士数は2級整備士1名を含む3級整備士以上の整備士2名以上となる。(対策として、既存の町工場では、奥さんが整備士資格を取得して新制度に対応する町工場が増えました。)
など開業はもっと難しくなりました。
そうして整備工場の質の向上をウタイ文句に、前記の負担を我々整備業者に求めていながら、外国の圧力の為、また政府の構造改革と言う名のもとに、組織として弱い整備業の車検制度が先例として槍玉に挙げられ改悪されてしまいました。
今、車検代行業者は何の資格も設備も責任も無く車検を行っています。
改悪前の車検整備は整備後、少なくとも次の定期点検(6ヶ月間)までの間、安全を確保する整備(故障予防整備)でした。
しかし今の車検制度は、検査時に規定の性能が維持されていれば良く、極言すれば翌日故障しても整備工場には何の責任も無いと言うものです。
整備不良による事故などの責任は、全て車の持ち主あるいは運転者の貴方の責任になります。
しかし私共、整備工場では「今故障していないから良いのだ」と言うわけにはいきません。
プロとしてお客様の安全確保をおろそかに出来無いのです。
そして結局手をかけてしまい、整備費がかさみ車検が高いと言われてしまいます。
私どもの今まで築いた車社会の安全確保への努力や苦労は、責任の無い代行業者が安い料金で行う車検代行業者の横行と言う形で無に為ってしまいました。
(安いと言っても何もせずお金をとるのはけして安い訳ではない)
自動車分解整備事業の認証は、重要保安部位の分解修理が出来る許可証です。
車検代行業者など無認証業者は、この資格をもっていませんからブレーキ、ハンドル、サスペーションなど重要保安箇所の分解整備は出来ません。しかし実態は行っているものと思われます。
資格と設備を整え、苦労して取得した分解整備の認証は、持っていれば責任が生まれ、邪魔な存在となってしまいました。
一方には責任を問い、片方は野放し状態でいいのでしょうか?
私は言いたい 「車は貴方の命を乗せています」 2万円3万円のお金を出し惜しむほど、貴方の命は安いのですか?
坪井グループは、いつもお客様の安全と快適なカーライフを支えています。
ご意見いただければ幸いです。 通信欄
四方山話
自動車整備士制度は、昭和26年代?に1.2.3級整備士制度が制定されました。
でも今まで2.3級の資格試験しか実施されませんでしたので、現在国家資格の1級整備士資格者はいません。(14年現在)
(メーカー系列の整備士一級などは、国家資格では有りません。)
車の技術の高度化に対応する為、最近1級整備士資格試験実施の動きが始まりました。
近々誕生するのでしょうか?
*平成14年に初めて1級小型自動車整備士の試験が行われて865人の1級整備士が誕生しました。
ちなみに合格率は9.5%の狭き門でした。16年度までに受験者21,000/合格者1,485人 3年平均合格率7.1%の狭き門で16年度は4,600人/2.1%だったそうです。
17.2.22訂正
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